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中世〜近代の皮革

中世

11世紀初めの京都には、河原省と呼ばれる被差別民がおり、屠畜(とちく)や皮革加工を行っていた。(※「左経記」長和5年(1016)正月二日の記述から当時、死んだ牛の皮を剥ぐ「河原人」がいたとあるのが初出)

鎌倉時代には、鞣し技術はさらに発展し、皮革と膠(にかわ。接着剤のこと。)は武具の製造に不可欠となりました。

近世

江戸時代には現代につながる製革技術の基礎が確立され、牛馬の皮を多く利用しました。

京都では太鼓や沓(鞜、靴のこと)などの一部を除いて、革細工は基本的に町人身分の仕事でもあったのです。

近代

富国強兵と殖産興業(生産を増やし、産業を興せの意。)の方針に従い、軍事用品(特に軍靴)の需要に応ずるために、洋式の製革法を採用して行きました。

外国人技師の招聘(しょうへい。)、万国博覧会への積極的な参加によって、技術は著しく向上されて行き、

明治初年佐倉藩は士族救済事業として、靴授産場(就労や技術習得を援助する施設。)を造り、皮革産業を導入し、

明治二年には和歌山市で西洋式の製革事業が始まり、ドイツ人を招聘。

主に藩士の次男、三男が習ったようです。

つづく。

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