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古代の革 その2の巻

さて、再び古代の革についてお話したいと思います。

少し時代が経ち、平安時代の革の歴史では、

「和名類聚抄」…平安時代中期(931年〜938年)に作られた辞書によると、

皮とは和名が加波(かわ)であり、獣の体を被うものを剥ぎ取りもの付いたままのもの。

革とは和名が都久利加波(つくりかわ)であり、毛と脂を除去したもの。

鞣(なめし)は手之賀波(おしかわ)と言い、毛と脂を除去して柔らかくしたもの。

つまり、この頃の鞣しは物理的に不要なものを除去し、さらに揉んだり、油脂類を塗ったりして耐久性や、柔軟性、防水性を付与したものを指すようです。

また、「延喜式」に記載された皮革とは何か見てみると、

調(みつぎ。貢納物。現代での税)あるいは副物(そわつもの)の品目として皮革類があげられており、宮中で用いられた革製品についても記述があります。

宮廷では、特殊技能を有する品部(しなべ)と雑戸(ざっこ。技術職人)を畿内から集め、典履(てんり。靴履鞍具を縫作。)や、典革(てんかく。革の染作。)のもとで革製品を製作しました。

諸国年料雑物として西日本を中心に主に牧牛皮や馬革が産出され、

馬は皮を革に加工して送付しているが、牛皮はそのまま送付していた。とのことです。

これは馬皮は鞣し方法が普及していたが、牛皮は鞣しが普及していなかったか、あるいは牛革の利用が少なかったためと考えられます。

染色した革(紫革(紫草の根の汁で染めた物)、緋革(茜で染めた革)、纈革(ゆはた。絞り染めの革)、画革(模様のある革)、白革など(洗革をより白くした革)は太宰府の特産で皮革製造技術が発展していたことを表していることがわかります。

太宰府、つまり九州地方は渡来人が多かったため、様々な技術が伝承されましたが、そこに革の技術の発展も含まれていたのですね。

つづく。

ikazO

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